hattatujoshiの憂鬱

このブログはアラフォーで発達障害と診断されたオトナ女子の人生日記のような文章です。

はたして発達障害者は負け組なのか

 こんにちは。発達オトナ女子のみょんです。

 

今回は前回のような暗い記事とは違って、ちょっと明るいポジティブなテイストの記事を書こうと思います。

 

毎回暗い過去の記事ばかりでは読む方もげんなりして来ちゃいますよね。

 

 

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豊かな人生とは…

 

 

自分が発達障害もしくは人とは何かが違う、なんだかとっても生きづらくて苦しいよ…なんて気が付いたら感じていた、とか。

 

そう考えてしまうと、とても生きていくモチベーションが下がってしまいませんか…?

 

私は自分がまだ自分基準ではなく、他人基準の感覚だった時は、海岸など大人数でキャンプなんかして盛り上がり、ワイワイガヤガヤと群れる事が正解の人生のような気がしていたんです。

 

今考えてみると 大きな勘違いでした。

 

だって大人数で群れるなんて、めっちゃくちゃ疲れるもん!

 

 

  • 大人数での行動は苦手
  • 孤立と孤高は違う
  • では発達障害は負け組なのか、豊かな人生とは
  • まとめ

 

大人数での行動は苦手

 

特に発達障害のみなさん、団体行動は苦手ではないでしょうか…?

私の場合、まず会話のタイミングが分からない、私だけみんなの様々な話についていけない、共感出来ない、もしくは共感してるふりが最近まで出来ませんでした。

 

飲み会なんかでも大人数だと、誰としゃべったらいいのか全然分からない!

 

誰かとしゃべりながら、心の中では「同じ人とばかり話すのは、この人を独占してしまうのだから周りの迷惑になるのではないか…?次は誰に話しかけよう…?」

 

…こんなことばかり考えていたら、話している内容も頭に入ってこないし、キラキラ楽しい雰囲気も景色もだんだんとくすんで見えてきて疲れてきてしまいます。

 

大人数で騒いでる人達を見かけると、

実はそれぞれ意外な事情や人間関係で時にはストレスを感じたりしていたりして…。

 

など、少しひねくれた考えを持つようになってからは友達も

 

たまーに一対一で会っておしゃべりするのが自分には合っている気がして来ています。

 

まぁ、2,3人くらいしかいませんけどね(笑)

 

 

孤立と孤高は違う

 

いたんですよ、私の身近に、いつも孤立することに恐怖を感じていた人が…。

息子の同級生のお母さんで…。 

正直、優しくて良い人だったんですがそこのとこが全く理解出来なくて、残念ながらあまり積極的に仲良くしたいとは思えませんでした…。

本当に、一秒でも一人でいるのが恐ろしくて仕方ないらしく、なんか病的にすら感じてしまいました。

 

なんか孤立っていうか、周りから孤立していると見られるのが何より苦痛らしく、保護者関係の集まりで私が来た時にたまたま一人でいたら、聞いてもいないのに一人でいた言い訳や(悪いことでもないのに…)、とても寂しかったことを訴えてきて、なおかつ今日はずっと私と一緒にいていいか、なぜかよく許可を求めて来るのです。

もちろん「私で良ければ…。」などと毎回答えてきたのですが…。

 

彼女は自分の子にも一人でいるところを見られた時のために、前もって「明日はお母さん一人でいても気にしないでね…。」と毎回のように言ってるんですよ!

まるで一人でいる人は何か悪いことをして罰を受けているかのような言い分だと思いませんか…?

そして息子の話によると、彼女の子もまた、常に群れていないと不安になってしまう子なのだとか…。

 

そんな彼女はとても心配性でもあり、何に関してもいつも心配ばかり。

話を聞いていて少し気の毒になります。

でもそれが彼女にとっての社会、人生に対する姿勢やポリシーであるなら、私がとやかく言う事ではないでしょう。

 

私はと言うと、もともと一人が気楽で好きなのは息子によく言っていたし、逆に他のお母さんと話をしているところを見た日には、「は?お母さんが他人としゃべってる!」と驚かれてしまいました。

 

でも別に強がりではなく、私は孤高の人ってかっこいいと思います。

 

孤立と孤高は違うんです。

 

孤立している人はたとえみんなと一緒にいても、いつも心の中は寂しくて不安で仕方ありません。

とにかく、構ってくれる人をいつも探しています。

 

孤高の人は自ら群れる事を嫌い、あえて一人でいたいのです。

 

そもそも誰かに依存なんてしません。

自分の人生は自分一人で切り拓く…そんな信念を持ち、そんな自分に誇りを持って生きています。

 

どうですか、すごくカッコ良くないですか?

 

 

はたして発達障害は負け組なのか

 

私もつい最近まではこの見解については長く長く思い悩んでいたのですが、とりあえず一つの考えにたどり着きました。

 

それは周りからどう見られてるかなんて気にしないこと、他人の人生なんて参考にしないこと…そのスタンスで行けば負け組になんてなりません。

 

毎日でなくとも何日かに一度は

 

「今日は自分的には少しだけ有意義に過ごす事が出来たかな…。」

 

それでいいじゃないですか。

 

Aさんは毎日やりがいのある仕事をバリバリこなしている。

Bさんは今日もインスタにおしゃれでキラキラでリア充な画像をアップしている。

Cさんは豪華な一戸建てで素敵なご主人と子供たちに囲まれている…など、そんなの私には何の関係もないじゃないですか。

 

私は主人の収入に見合ったお家で毎日、パートで新たに患った心の病と格闘しながら、またいつか働くことができる日を夢見て英気を養っています。

 

貯金も私が躁状態の時に相当浪費してしまい、全然ありません。

 

でも家族は私を責めないし充分な贅沢は出来ないけれど、家族は私の味方です。

 

最近は自律神経失調症で毎日首の調子が悪く、筋弛緩薬を常用しているせいか、よく口から飲み物をこぼしてしまいますがあまり気にしないようにしています。

他にも双極性障害のお薬を服用しています。

 

でも今は毎日規則正しく生活し、きちんと体を動かす…、少しでも多く家事をする。

理想に近い形で一日を終えたらそれで良しとする。

 

こういう毎日が負け組とは思わなくなりました。

 

豊かな人生とは自分の心持ち一つではないでしょうか…?

 

 

まとめ

人生結局は自分の価値観次第だと思います。

先日息子に言われたのですが

人生なんて、「自分には楽しい事がある、たとえ人に自慢出来ないような地味な趣味でも、たとえ競馬やオートレースだろうが、それに熱中している時は最高だ!」って思ってしまえば、後は人に迷惑をかけない範囲で楽しめば、それは人生勝ち組じゃないか、と。

 

賛否はあるかもしれませんがハンデを背負って生まれてきた人間の究極の生き残るための考え方ですかねぇ(笑)

 

 

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